「トルキスタン集成」データベース、Туркестанском сборнике

「トルキスタン集成」の概要

「トルキスタン集成」とは

「トルキスタン集成Туркестанский сборник」とは、ロシア帝国の中央アジア征服の後、トルキスタン総督府(1867年タシュケントに設置)初代総督に任ぜられたカウフマンК. П. фон Кауфман(1818-1882、総督在任期1867-1882)の命により編纂が開始された、全594巻に及ぶ中央アジア関連資料集成である。カウフマンは最も新しい(そして最後の)ロシア帝国の植民地トルキスタンの統治にあたって、「ロシア人のための中央アジア百科」を手元に備えることを構想したのであった。

「トルキスタン集成」の編纂作業は、当初は帝都サンクトペテルブルグで、後にはタシュケントで、主にロシア語を中心にヨーロッパ諸語で書かれた中央アジアに関する様々な刊行物を可能な限り収集し、統一的な判型に再製本するという形で行われた。それらが蓄積することによって「トルキスタン集成」は徐々に大きなコレクションとなっていった。この事業はカウフマンの没後も歴代のトルキスタン総督に引き継がれ、一時的な中断はあったものの1917年のロシア革命前夜まで続けられた。さらにソ連時代にもウズベク共和国において若干の資料の追加が行われた。 

「トルキスタン集成」の原本は20世紀中の様々な変化を経てなお今日まで維持され、現在はウズベキスタン共和国のA.ナヴァーイー記念国立図書館Alisher Navoiy nomidagi O‘zbekiston Milliy kutubxonasiに所蔵されている。収録書誌は1万3千件を超え、総ページ数は約20万である。

「トルキスタン集成」は、編纂当時の単行本、新聞・雑誌記事、統計、地図、図版など、多様な形態と内容の刊行物を含む、中央アジアに関連した一大資料コレクションである。そこに含まれる資料は、21世紀の今日においてもなお中央アジアに関する貴重な情報を私たちに与えてくれる。そしてまた、21世紀の今だからこそ、新しい利用のしかたもできるだろう。

編纂小史

 カウフマンの意向を受けて、「トルキスタン集成」編纂の具体案を提示したのはサンクトぺテルブルグの著名な書誌学者メジョフВ. И. Межов (1830-1894)であった。メジョフは当時、フリーランスの書誌学者であったが、トルキスタン総督府から資金を得て、中央アジア関連文献を集めては製本し、毎年数十巻をペテルブルグからタシュケントへ送付した。「トルキスタン集成」はタシュケントに帝立図書館として開設されたトルキスタン公共図書館に設置された。1882年のカウフマンの没後も編纂事業は継承され、第416巻までが作成された。しかし、1888年、ローゼンバフИ. О. Розенбах総督(総督在任期1884-1889)は財政的困難を理由に「トルキスタン集成」編纂の停止を命じた。

 それから約20年後の1907年、タシュケントにおいて「トルキスタン集成」の編纂作業は再開された。当時のトルキスタン公共図書館の関係者や著名な東洋学者、民族学者らが再開に向けて尽力したが、中心的な役割を果たしたのは、初代館長であり、中央アジア関連文献に精通した書誌学者でもあったドミトロフスキーН. В. Дмитровский (1841-1910)であった。メジョフはすでに亡くなってから久しく、あらたにこのドミトロフスキーを編纂責任者として、さらに127巻分が、すなわち第417巻~第543巻までが編纂された。

 1910年には事業費不足のため編纂作業は休止され、翌1911年にはドミトロフスキーが死去した。やがて、トルキスタン公共図書館にも関わりの深かった、優れた中央アジア研究者セミョーノフА. А. Семенов (1873-1958)に「トルキスタン集成」編纂が委ねられることとなった。セミョーノフは編纂方針を立て直し、学術文献に特化したコレクション形成をめざした。セミョーノフによって1917年の帝政崩壊までにさらに48巻分、すなわち第544巻~第591巻が作成された。

「トルキスタン集成」は、中央アジアにおけるロシア革命とその後の内戦などの混乱を生き延び、ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国国立公共図書館と改称した図書館に所蔵され続けた。ここに勤務し、「トルキスタン集成」を書誌学的な研究対象ともしていた書誌学者ベトゲルЕ. К. Бетгер (1887-1956)は、1939年、チェレンチエフ著『中央アジア征服史』 (М. А. Терентьев, История завоеваний Средней Азии, Санкт-Петербург, 1906.) 全3巻を「トルキスタン集成」第592巻~第594巻として追加した。

 こうして今日私たちが見る「トルキスタン集成」全594巻の全体が完成した。この編纂の経緯からもわかるように、「トルキスタン集成」はコレクションとしては世界に1セットしか存在しない、貴重な資料集成である。

「トルキスタン集成」の既存のインデクス

「トルキスタン集成」に収められている様々な資料を効率よく利用するためには、検索のための手引きとして目次や索引が必要となる。そのためのツールとして、既存のものとしては、各巻に付随する目次(ここでは便宜的に「巻目次」と呼ぶことにする)と、別冊インデクスがある。

 巻目次は、歴代の編纂責任者によって各巻の冒頭部分に組み込まれているものである。おおむねすべての巻に付されているが、巻目次を欠く巻もある。一部の巻目次は手書きのまま巻に組み込まれており、また一部は目次にタイトルしか示されておらず、当該資料がどの刊行物の何号から採られたものかがわからないなど、必要最低限の書誌的情報を欠くケースも散見されるといった問題がある。

 この巻目次とは別に、「トルキスタン集成」所収資料をカテゴリー別に分類し、書誌情報とそれが収められている「トルキスタン集成」の巻・ページ番号を示した別冊インデクスが存在している。別冊インデクスは5点存在するといわれているが、私たちが参照することのできたのは以下の4点である。ここでは便宜的に各々「インデクスⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ」と呼ぶことにする。

インデクスⅠ

Туркестанский сборник сочинений и статей относящихся до Средней Азии вообще и туркестанского края в особенности, составляемый по поручению г. Туркестанского генерал-губернатора К. П. фон Кауфмана В. И. Межовым. Томы 1-150. Систематический и азбучные указатели сочинений и статей на русском и иностранном языках, Санктпетербург, 1878.

[トルキスタン総督閣下カウフマンの命によりメジョフにより編纂された、中央アジア全般、特にトルキスタン地方に関連する著作・論文トルキスタン集成。第1~150巻。ロシア語および諸外国語の著作・論文の分類別およびアルファベット順索引、サンクトペテルブルグ、1878年]

インデクスⅡ

Туркестанский сборник сочинений и статей относящихся до Средней Азии вообще и туркестанского края в особенности, составляемый по поручению г. Туркестанского генерал-губернатора М. Г. Черняева В. И. Межовым. Томы 151-300. Систематический и азбучные указатели сочинений и статей на русском и иностранном языках, Санктпетербург, 1884.

[トルキスタン総督閣下チェルニャエフの命によりメジョフにより編纂された、中央アジア全般、特にトルキスタン地方に関連する著作・論文トルキスタン集成。第151~300巻。ロシア語および諸外国語の著作・論文の分類別およびアルファベット順索引、サンクトペテルブルグ、1884年]

インデクスⅢ

Туркестанский сборник сочинений и статей относящихся до Средней Азии вообще и туркестанского края в особенности, составляемый по поручению г. Туркестанского генерал-губернатора И. О. Розенбаха В. И. Межовым. Томы 300[301]-416. Систематический и азбучные указатели сочинений и статей на русском и иностранном языках, Санктпетербург, 1888.

[トルキスタン総督閣下ローゼンバフの命によりメジョフにより編纂された、中央アジア全般、特にトルキスタン地方に関連する著作・論文トルキスタン集成。第300[301]~416巻。ロシア語および諸外国語の著作・論文の分類別およびアルファベット順索引、サンクトペテルブルグ、1888年]

インデクスⅣ

О. В. Маслова, Систематический указатель к тт. 417-591 Туркестанского сборника. Ч. 1. (1-2411). Ч. 2. (2412-3630), Ташкент, 1940. (タイプ打ち、未刊行)

[マスロヴァ[編]、トルキスタン集成第417-591巻分類別索引。第1部(No. 1-2411)。第2部(No. 2412-3630)。タシュケント、1940年]

 

 インデクスI~IIIは、対象とする巻の「トルキスタン集成」編纂者であったメジョフ自身の手になるもので、それぞれ、a)カテゴリー別に分類され、当該インデクス中で書誌IDを付けて整理した書誌情報、b)アルファベット順人名インデクス(人名に対応する当該インデクス中の書誌IDを示す)、c)アルファベット順地名・事柄インデクス(地名・事柄に対応する当該インデクス中の書誌IDを示す)、d)アルファベット順非ロシア語文献人名・事柄インデクス(人名・事柄に対応する当該インデクス中の書誌IDを示す)から成る。

 私たちは、このインデクスI~IIIが合冊製本され、背表紙にRecueil du Turkestan comprenant des livres et des articles sur l'Asie Centrale en général et le province du Turkestan en particulier. Tomes 1-416. [St. Pétérsbourg.] 1878-1888. と記された古書を京都の古書店において偶然入手した。I~IIIの中扉はいずれもフランス語表記となっており、Iにはフランス語、ロシア語で、IIにはフランス語でメジョフによる序文が付されている。

 インデクスIVは、メジョフによるインデクスI~IIIの続きであり、「トルキスタン集成」の残りの巻のうち、第417巻から第591巻までをカバーするものである。未刊行でタイプ打ちのものである。ただし、それらの巻に収められた資料のうち、ソ連領に関する資料のみを対象としている。作成者は、ソ連時代のウズベク共和国の書誌学者マスロヴァО. В. Масловаである。また、同じく第417巻から第591巻に所収されている、ソ連領以外の地域に関する資料を対象とした第5の別冊インデクスがベトゲルによって作成されたといわれている。従って、インデクスIVとインデクスVは補完関係にあることになるが、残念ながら私たちは現時点ではインデクスVを確認することはできていない。

 第591巻から第594巻に対してはインデクスが存在しないが、この最後の3つの巻には全3巻から成る単行本1点(チェレンチエフ著『中央アジア征服史』)が収められているため、この3つの巻を対象とするインデクスが存在しないことは書誌情報整備の点からは大きな問題とはならない。

 これらの別冊インデクスは、大変な労力をかけて作成されたものであり、また「トルキスタン集成」利用のために不可欠の手引きであることは間違いないのだが、他方で大きな問題を抱えている。第一に、掲載された情報にかなり間違いや遺漏があり、特に巻番号の間違いやページ番号の未記載に突き当たると目指す資料にたどりつけないということがしばしば生じる。第二に、特に新聞記事の場合に顕著だが、別冊インデクスの作成者によって資料のタイトルではなく内容を要約したフレーズが書誌情報として掲載されているケースが多々あり、場合によっては複数の記事が同一テーマのものとしてひとつの書誌情報に括られている。このことは資料の同定を難しくすると同時に、所収資料数のカウントをも難しくしてしまう。実際、別冊インデクスⅠ~Ⅳの資料IDの単純合計数は8,343件であるが、私たちの作業によれば書誌数は13,409件である。別冊インデクスがもっぱら手作業で作成されたであろうことを念頭に置けば、これには致し方ない側面もあるが、それらは今日、コンピュータの手を借りることでより容易に修正することが可能である。

「トルキスタン集成」の全体像に迫るためには、「トルキスタン集成」の資料本体、巻目次、別冊インデクスの情報をすべて突き合わせる必要がある。これらすべてを含めて、ひとつのコレクションと考えるべきである。

参考文献

Касымова, А. Г. (1984) Туркестанский сборник, Ташкент.